昔、
日大が強かった頃がありました。
倉本選手、湯原選手、川岸良兼選手、丸山茂樹選手、片山晋呉選手、など多くのシード選手を輩出しました。
片山選手などはシードを獲得するのに大学を出てから2 、3年かかったかと思いますが、
他の選手は日大を卒業してすぐにシード権を取ったのではないでしょうか。
最近はどのスポーツ界でも怪物と呼ばれる選手がおられますが、
その中で怪物と言われたのは、
川岸良兼選手ですね。
当時の川岸選手はやはり飛距離がすごかった。
確か親がゴルフ練習場を経営しておられそこで軟球をゴルフクラブで打っていたと言う話を聞いたような気がします。
プロテストも上位で合格されたのではないでしょうか。
またプロテストの後、
当時、ミズノ新人と言うプロテストを受かったプロの大会があったと思いますが、
そこでも上位に入られたような記憶があります。
この時プロテストで1位で通ったか、ミズノ新人で優勝したのが宮瀬博文選手だったと思います。
そして2位が川岸良兼選手。
プロ入りして1年目は確か賞金ランキング3位までいかれたのではないでしょうか。
しかしそれが川岸選手にとって一番上位のランキングだったでしょうか。私の記憶が定かではないので、少し記録違いのところがあるかもしれませんが。
将来を期待された選手でしたが、
素質は抜群な選手だったと思いますが、
それをいかせきれずに終わってしまった惜しい選手だと思っています。
川岸選手の才能は後藤先生も認めておられました。
そして、
その同級生に鈴木亨選手がおられました。
川岸選手がプロテストを通過し、最初のミズノプロ新人で宮瀬プロにプレーオフで負けたと記憶しています。
宮瀬プロは確かまだ19歳だったと思います。私と同年代だったのでとても親近感がありました。
アメリカツアーにも挑戦しましたが芳しい成績を上げられなかったことは残念でした。
私は宮瀬プロと佐々木久行プロを後藤先生に指導してほしかったと思っていました。
川岸プロはパーシモンからメタルに変わる時期に苦労されたようでした。
筋力はずば抜けて凄かったとおもいますし、アメリカツアーでも当時はそれほど筋力が強い選手は多くなかったと思いますので、
目を見張る飛距離だったと思います。
ただメンタルの部分や性格の部分で転換期に良い選択が出来なかったように思います。
大学の先輩後輩などのしがらみから自立して自分の考えを見直してプレーしていたらと思うところはあります。
丸山プロはいい意味で自立してアメリカツアーに出て行き結果を出し、5、6年は成績を維持して頑張っていました。
30代半ば以降はケガなどあり、その頃からはタイガーウッズの登場でいっきにパワーの時代に変わっていきました。
日本選手は170センチ以下に優秀な選手が多いと思います。
丸山選手、片山選手、今平選手などアメリカツアーに入ると大人と子供くらいの体格差が出てしまいます。
日本の選手は見ていると試合の後半に疲労感が感じられます。
欧米の選手は気候変化などに慣れていて、時差や長距離移動にも体が慣れていて余裕が感じられます。
言葉や文化に早く順応できるか、出来なくても気にしない図太い性格の選手が成功できる要素があると思います。
実力があってのことなので選手の層が厚くなって、韓国選手が活躍するアメリカツアーのようになるのは難しいと思いますが
アメリカで日本選手が常時5,6人シード取れる時代になって欲しいです。