今日は後藤先生の命日です。

今日は後藤先生の命日です。

私の中では後藤先生は死んでいません。
私の心の中ではずっとずっと生き続けています。

9月10日、看護師さんと喋っているときに、 しゃべりながらすーっと息を吐きとられたそうです、 本当に寂しい、本当に大好きでした。

これからは後藤先生の弔い合戦のつもりでいます。 平成2年に花の山であったスクールで後藤先生に初めてお会いしました。
初めて会ったときの気持ちは、 やっとこの人に会えたでした。
なぜそういうふうに思ったか自分でもわかりません。
でもずっと会いたかった人に初めて会えたという感覚でした。
昔遠い昔に知っていて会いたくて、会いたくてした方なくてやっと会えたという感覚がしました。

すごく嬉しかったのを今でも覚えています。
もしかしたらこの人は私のゴルフをうまくしてくれるかもしれないと感じました。
ゴルフの全てを知っている方に会えたという感覚でした。

それが後藤先生との初めての出会いです。
そして30年経った今もその気持ちは全然変わっていません。
その後、千葉の鈴木亨プロが所属するゴルフ場でスクールが数ヵ月後にあったのに参加したのを覚えています。

でもこの頃は、ゴルフは上手くなるどころか反対に下手になっていたスコアが出なくなった。
このままスクールだけ参加しているだけではダメだと思い、当時、後藤先生が世田谷のレッスンをされていた練習場に毎週、車で通うようになりました。
所属しているゴルフ場が月曜日休みだったので、毎週、月曜日朝4時に出て東京に8時ぐらいにつきレッスンに参加し、夜20時21時ぐらいまで練習した後また車で帰り夜中に着くと言う生活が続きました。
車の走行距離は年間40,000キロはゆうに超えました。

ゴルフが上手くなりたくて必死に通い、必死に練習したのを覚えています。
後藤先生の教える大型完全スクエア打法は他の理論とは全く違っておりました。
そのために最初はすごく混乱しました。
先生の言うことをしようとすると全然うまくいかない時も多々ありました。
でも一生懸命、後藤先生の言うことを理解しようとし、後藤先生の言う通りにしようとしがんばりました。
後藤先生からはゴルフ以外にもいろんなことを教わりました。
生き方についてなど、後藤先生に教わった事は私の人生においてかなり効いています。
私の人生がうまくうまくいって幸せなのは後藤先生の考えに従っているからだと思います。
本当に頭の良い先生だったと思います。

後藤先生に教わったことの1つに 別れについて教わりました。
別れにはいろいろある、 生き別れ、喧嘩別れなどいろいろあるが一番、強いのは死に別れだぞとことを先生は言っておられました。
後藤先生と死に別れた事はとてもつらく寂しかったですが、この別れは、強いつながりになっていると確信しております。
最後まで先生のおそばにおらせていただけたことをすごく感謝しております。
また先生の思い出なども書かせていただきたいと思います。

当サイトの開設について

4月1日は後藤修氏の誕生日です。

後藤修氏の後継者だとそんなおこがましいことを思っていませんが、
後藤修先生と死に別れられたものとして、
最後まで残った生徒、弟子として責任を果たそうと思います。

後藤先生と死に別れられた生徒は、野人君と、小林一朗くんと私です。
そしてゴルフレッスンを仕事としているのは私だけなので、
私が先生の理論を世の中に広めていきたいと思います。

私より優秀な生徒はたくさんいました。
でも私の前に入ったいた生徒も、
私の後に入った生徒もみんな辞めていきました。

先生の晩年の口癖は、
かつての元生徒は私は認めないと言うことでした。
だから私が伝えていくしかないと思っております。

私は後藤先生にいろんなことを教わりました。
その1つに、後藤先生は、別れにはいろんな別れがあるが、
喧嘩別れ、生き別れ、など
でも死に別れが1番強いんだぞと言っておられました。
私は後藤先生が大好きでした。

もっと長生きをしていただけるものと、安心しておりましたが、
急に旅立たれてしまいました。

平成2年から30年間、後藤先生に師事してきました。
愛知という遠い地で住んでおりましたので、
時々しか行けませんでしたが、
最初、7年、8年は東京まで毎週月曜日通っておりました。
でもこの30年間、後藤先生のに教わりながら、
後藤先生がなぜこんなことを言うのだろうかとか、
この理論はどういう風にしてできているのだろうかとかを考えてきました。

そして30年間、私なりに理論を深く理解してきたつもりではおります。
その中で、世の中に後藤理論を知って頂き、
日本人から、4大メジャー大会を制覇するような選手がうまれることを願っております。