中尾 有希( なかお ゆうき )
後藤塾A級ティーチングプロ |
私とゴルフの出会いは大学生の時です。大学生の入学前のことです。
大学に合格して、友達がキャリーのバイトに行こうと誘ってくれました。
そこでキャディーのバイトに行くようになったときに、
ゴルフをやれるようになり、ゴルフが大変好きになりました。
私は税理士、公認会計士等を目指そうと思って、
大学の商学部に入学していましたが、大学4年間ゴルフにうつつを抜かしてしまいました。
大学を卒業するときは、バブルの時期でしたので就職はいっぱいありました。
ゴルフもしたかったですが、やはり就職、会社員にならなければならないのかなあと思っておりました、
たまたまその時に岐阜の税理士をやっていた親戚、
(この形を見て税理士になろうと思ったんですが)
この方が卒業したら進路はどうするんだと私に尋ね的に、
私は素直に、ゴルフをしたいがサラリーマン、
会社員にどこかの会社に就職しなければならないかなぁと言う話をしました。
そしたらその親戚が岐阜のゴルフ場のプロに
一度見てもらってこいと言うふうに言われ、
その方に見ていただくことになり、プレイを一緒にさせていただきました。
私はへたくそでしたが、そのプロは、
自分のやる気次第じゃないかと言うふうに言われました。
そこで親戚は岐阜のゴルフ場岐阜カンツリーを紹介してくれ
そこに私は研修生として入ることになりました。
後藤先生との出会いは平成2年、
先生が初めて静岡の三ケ日でスクールをやる時に参加させていただきました。
たまたま雑誌で拝見しスクールがあることを知り、すぐに参加を決めました。
岐阜カンツリー倶楽部に研修生として入社してから1年、
アンダーでも回れるようにはなってましたが、
このままでトーナメントプロになれるのかと言う、
絶対なれないと言うふうに感じていました。
そこに後藤先生の記事ですぐに参加を決めました。
初めて会ったとき、あーこの人にやっと会えた
と言う感覚に何故かなりました。
そこから毎週月曜日、岐阜から東京まで通うようになり、
大型完全スクエア打法を身に付けようと一生懸命がんばりました。
最初行きだした頃は、他の理論とは全く違う、
天と地の差がある位違ったので驚きました。
私が行きだした頃は中島常幸プロの復活大作戦の時でしたが、
中島プロがどんどん復活していく様子を目の当たりにして、
やはり後藤先生はすごいなぁと感じておりました。
最初は大変苦労しましたが、だんだんだんだん少しずつできるようになり、
2003年JGTOのクオリファイイングテストのファーストステージを合格、
トーナメントに出る資格を得る。
先生が亡くなられる令和元年9月10日まで後藤理論の、
大型完全スクエア打法の習得に精進する。